愛人(!!!?)生活



byドミ



(4)秘書室刷新



「社長!これはどういう事ですか?」
「私達、納得出来ません!」
「私達の秘書としての実績を踏み躙って、あんな仕事もまだ覚えていないような新人に秘書室を任せるなんて!」

天野聡美、岩倉光枝、内田唯の秘書室お局3人組が、ナイトバロン社の若き社長工藤新一に詰め寄っていた。
6月になった今日、天野聡美は受付の案内係に、岩倉光枝は総務部に、内田唯は経理部に、それぞれ人事異動発令が出たのである。

「適材適所。君達はそれぞれ秘書室に長く居すぎた。どんなに優れた人材でも、同じ所に留まっていては淀んで固まってしまう。採用はあくまで事務員としてのもので、異動は有り得ると入社の時の契約書にはきちんと書かれている筈だ」
「ですが・・・!」
「天野君。君は短大を卒業して6年、新卒で秘書室に配属されてここしか知らない。井の中の蛙(かわず)になってしまわないように、他の部署も見ておくことだね。岩倉君は総務部に3ヶ月、内田君は経理部に6ヶ月勤務しての異動だったが、新卒の数ヶ月では雰囲気を呑み込む位しか出来なかっただろう。天野君とそうそう状況が変わるとも思えない。君達には新しい部署で心機一転、新たに勉強し直して頑張って欲しいと思っている」
「でも、毛利さんはまだ・・・!」
「彼女は一通りの事は覚えた。後は実践の中で足りない所を自分で見つけ出して行くだろう」
「でも、もし何か失敗したら・・・!」
「失敗は、誰にだって、ベテランにだってある。それに失敗だって成長の糧だよ。君達はそういった事すら忘れてしまっているようだね」
「社長。仕事に私情を挟んでいるんじゃないですか?」

天野聡美が言った言葉に、初めて新一は表情を動かした。

「私情?どういう意味だ?」
「だって社長は明らかに毛利さんを贔屓してるじゃないですか!」

岩倉光枝が言い、内田唯もうんうんと頷く。

「私情も何も・・・そんなにはっきり言って欲しいか!君達が秘書室に居座ってると、俺は足を引っ張られて仕事がやりにくくて仕方がないんだよ!毛利くんは何にでも一生懸命で、正直言って一緒に居ると安らげて、仕事がとてもスムーズに出来るんだ。社長として仕事がスムーズに出来る相手を秘書として使いたいのは当たり前だろう。それを私情とか贔屓とか言うなら言え、俺は君達のご機嫌取りの為に働いているんじゃないからな!」

新一の容赦のない言葉に、3人は身を震わせた。
新一の顔は今までに見た事がない冷たい表情で、全身から凍て付いたオーラが立ち上っていた。
流石に3人は新一の逆鱗に触れた事を悟り、その場をすごすごと退出せざるを得なかったのである。



  ☆☆☆



「ええ?天野さん、毛利さんを含めての飲み会?」
「何考えてるのよ、もう私達は異動なのに」
「だからこそよ、岩倉さん、内田さん。なんか私達ってさ、社長から睨まれちゃったみたいだから、せめても最後位はちょっと仲良くなって秘書室を去りたいと思って」

天野聡美の言葉に、岩倉光枝と内田唯は顔を見合わせた。
今迄から比べると妙に殊勝な言葉は俄かには信じ難かったのである。
けれど、同じ社内で働き続けるのなら、遺恨を残すよりも笑って仲良く別れた方が遙かに良いのは確かな事だった。



  ☆☆☆



「え?今度の金曜日、飲み会だって?」
「うん、そう。天野さんたちが、異動の前に4人で飲みに行こうって誘ってくれたの。だから悪いけど、新一、夕御飯は自分で何とかしてね」

蘭は単純に秘書室の先輩3人に誘われた事を喜んでいる。
しかし新一は、人を疑う事を知らない蘭のように純粋にあの3人を信じきる事は出来なかった。
けれど、蘭相手に迂闊な事も言えない。
蘭から飲みに行く予定の店の名を聞きだし、念の為に携帯を渡した。
蘭には内緒だが、その携帯にはこっそりと追跡が可能な発信機と盗聴器を取り付けているのである。





そして問題の金曜日。

秘書室の3人は、週明けには別の部署に異動になる。
社長秘書室の、蘭も含めた4人は、5時きっかりに終業しロッカールームへと去って行った。


スナック「十和子(とわこ)」のママ・岡野十和子は、久し振りに飛び込んで来た客に目を丸くした。

「あら工藤ちゃん、お久し振り」
「ああ。ママ、ご無沙汰だな。あそこの席、良いか?」

飛び込んできた工藤新一は、出入り口近くの席を指し示して言った。

「ええ、空いてるわよ。今日は久し振りに1人なのね。ボトル、切れちゃってるけど、新しいのをいれる?」
「いや、いい・・・あ、待って、やっぱり1本入れといてくれ。で、今日はすまねーけど、ちょっと訳ありでいつ飛び出すかわかんねーから、前金で」
「あら、工藤ちゃんだったらつけでも構やしないわよ。いざとなれば、会社の方に伝票回すし」

入り口間際に座った新一の席に、ママ自らがボトルと水割りのセットを運び、すぐに引き上げて来た。
ここ数ヵ月の内に入ったばかりのホステスが、新一の席に付こうとするのをママが無言で制する。

「え?だってママ・・・」
「工藤さんはね、もしも御1人で来られた時には、1人にして差し上げて。女の子の同席は嫌がるから」

ここに長く勤めている者は心得ているが、最近入ったばかりの女の子達はその約束事を知らず首を傾げた。
ホステスが付くのは、何もサービスの為ばかりではなく、「一緒に飲んで店の売り上げに貢献する」という意味もあるのだ。
けれど彼は普段、この店に上質の客を連れてきて接待に使ってくれるお得意さまなので、十和子ママの言い付けを守り、その後は誰も近寄らなかった。



程なく、新一のおごりでの飲み物がホステス達に振舞われた。
彼は女の子を同席させない代わりにこういった気遣いをする。
新一がこの店を気に入っているのは、十和子ママのホステス達への躾が行き届いているからである。
もっとも、蘭と一緒に暮らし始めて以来、1人で飲みに来る事は全くなくなってしまっていたのだが。



新一は焦る気持ちを抑えながら、イヤホンで蘭達の様子を確認しながら座っていた。
蘭たちが飲み会をしているカフェバーは、このすぐ近くにあり、いざという時にはすぐに追える位置だった。




「毛利さん。毛利さん?」
「あらら、寝ちゃったよ。この子、こんなにお酒弱かったっけ?」
「新入職員歓迎会の時は、もうちょっと飲めてたように思うけどねえ」

カクテルを1杯飲んだだけですぐにテーブルに突っ伏して寝入ってしまった蘭を見て、岩倉光枝と内田唯は顔を見合わせた。

「仕方がないわねぇ。毛利さんは私がタクシーで送って行くから、ちょっと手伝って。今日はこれでお開きにしましょう」
「天野さん、毛利さんの寮、どこだか知ってるの?」
「ええ、この前教えて貰ったから」

天野聡美の言葉に、光枝と唯は怪訝そうな顔をする。
住所を教えて貰うほど親しくなっているなど信じ難く、何となく言動に不自然なものを感じ取ったのだ。
けれど、肝心の蘭が眠り込んでしまっており、どうしようもない事は確かなので、グッタリとなっている蘭を3人がかりでタクシーに乗せ、天野聡美1人がタクシーに同乗するのを残る2人は釈然としない気持ちで見送った。



2人は後になって新一の口から天野聡美の企みを聞かされて、自分達が片棒を担がされた事に青くなるのである。
元々腹黒いという訳ではなかった光枝と唯は、天野聡美と離れ新しい部署に移る事で心機一転、本来の能力を発揮し仕事に勤しむ様になったが、それはまた別の話。



  ☆☆☆



眠り込んだ蘭と天野聡美を乗せたタクシーは、とあるホテルへと着いた。
チンピラ男が1人待ち構えており、天野聡美と両脇から蘭を抱える格好で客室に連れ込んだ。
そして、ベッドの上に蘭を下ろす。

「ヒュ〜、上玉じゃん。久し振りに楽しく『お仕事』出来そうだぜ。けどよ、睡眠薬飲んでんだろ?嫌がって泣き喚く女を力尽くでやる方が好みなんだけどな」
「その女、虫も殺さぬ顔をして空手の達人なのよ、素面の状態で力尽くは無理よ。でも、その女を泣き喚かせてみたいから、目を覚ましかけたところでもう1度・・・」
「な〜るほど。俺にやられてる最中に目を覚まさせるって寸法か」


「蘭に指一本でも触れてみろ。明日のお天道さんは拝めないものと思え」

突然室内に怒気が篭った低い声が響き、天野聡美とチンピラ男は飛び上がった。

「社長!何故ここに!」
「てめえ、どうやってここに入りやがった!」

新一は2人に近付いて行った。
新一の体から立ち上るオーラはどす黒く、2人は思わず後退りした。

怯えて後退ったチンピラ男は、壁に背が当たるとハッとして逆上し、ナイフを取り出した。

「野郎!」

男はナイフを構えて喚き散らしながら新一に向かって行った。
しかし新一は信じられない位の軽やかな動きでそれをかわしたと思うと、ベッドサイドテーブルにあったティッシュボックスを目にも留まらぬ速さで蹴り上げた。
焦って方向転換をした男の股間に、固いプラスチック製のティッシュボックスがすごい勢いでめり込み、男は呻いて涙を流しながらうずくまった。
その手から落ちたナイフを新一がすかさずベッドの下に蹴り入れる。

天野聡美はその光景をぼんやりと見ながら、新一が元々はサッカーの名手だったという経歴を思い出していた。

新一が倒れた男の股間に靴を当て、体重を掛ける。
男が苦悶の表情で悲鳴を上げた。

「もう2度と仕事が出来ねー体にした方が世の為だろうな」

新一が無情に言い放つ。

「た・・・たのむ・・・警察へ・・・」
「警察だと?蘭を証人になど出来るかよ、バーロ。それにこんぐれえの罪だとムショ暮らしも大して長くなんねーだろ、ああ?どうせ出所したらまた『お仕事』始める積りなんだろうが」
「し・・・しない・・・しない、から・・・助けて・・・」

男は涙と涎を垂らしながら息も絶え絶えに哀れな様子で懇願した。

「・・・その言葉を違えてみろ、地獄の果てまで逃げたって逃れられると思うなよ?この先、もしも蘭の半径1キロ以内に近付いたりしたらその時は・・・!」

新一が足にグッと力を入れ、男はヒーッと悲鳴を上げる。
新一が足を離すと、ほうほうの体で逃げ出して行った。




「さて・・・天野くんの始末はどうしてくれようか」

そう言いながら、新一がにっこり笑って天野聡美ににじり寄る。
その笑顔の裏に潜む恐ろしさに、天野聡美は後退りする。
新一は天野聡美の耳元で何事かを囁いた。

「しゃ、社長、何故その事を・・・!?」

天野聡美の瞳は驚愕に見開かれる。
新一が更に何事かを囁くと、天野聡美は全身血の気が引き真っ青になって絶句した。

新一はベッドの所に行き、蘭を横抱きに抱え上げた。
そして天野聡美に背を向け、歩き出す。

「忘れるなよ。俺は今回の件の証拠も全て握っているし、その他にも、お前を葬り去ろうと思えば材料はいくらでも持っている。もし今後蘭に・・・それとナイトバロン社に何か仕掛けようとしてみろ、その時は地獄の底に引き摺り下ろしてやる。ただし、君がきちんと辞表を書いて今後俺達に関わらないと言うのなら、手を出さずに置いてやるよ。ゆっくり考えたまえ。色よい返事を待っているよ」

新一の口調は静かで淡々としていたが、その声音の奥底に潜むものに天野聡美は震え上がった。



  ☆☆☆



新一と一緒に暮らすマンションの寝室で蘭は目を覚ました。
体を起すと、頭痛などはなかったが、まだ頭がボーっとして、フラフラする。
蘭は暫らく状況が判らず、考え込んだ。
そして昨夜、カクテルを1杯飲んだところから記憶が途切れた事をようやく思い出した。

「目が覚めたか?」

寝室のドアを開けて新一が顔をのぞかせた。

「私、一体・・・?」
「昨夜お酒飲んで眠り込んだ後、あの3人に送られて1Kの部屋の方に連れて来て貰ってた様だったからね、俺がこっちの部屋に運び込んだんだ」

新一はトレーにシジミの味噌汁を乗せて持ってきた。

「ほら、これ。二日酔いに効くって言うから・・・」
「え・・・?新一、これ、新一が・・・?」

何となく、二日酔いというには釈然としないものを感じていた蘭だったが、「ありがとう」とお礼を言って新一から受け取ったシジミの味噌汁を一口飲んだ。

「美味しい・・・」
「そうか、良かった」
「そう言えば、新一、作る暇ないけど料理は一通り出来るって前に言ってたね」
「ああ。いつも蘭に甘えてばっかで、ごめん」
「そんな事。新一の仕事は私よりずっと忙しいんだもん」
「経営者一族だから、それは仕方ねーさ」
「それにしても、たった1杯のカクテルで眠り込んでしまうなんて・・・私、そこまで弱くない筈なんだけどな」
「入社してから今までの疲れが溜まってたんだよ、きっと。その・・・家事もやってたしな」

新一が蘭の隣に腰掛け、優しく髪を撫でながら言った。
蘭は、いつも以上に優しい新一の態度に戸惑いながらも、甘えて身を寄せた。







時計が蘭の目に入る。
時刻はもう昼近くになっていた。

「・・・・・・」

今日は土曜日。
いつもだったら、金曜日の晩は新一に溺れるように抱かれ、土曜日の昼間、新一の仕事がない時は、2人でどこかに出かけている筈だった。
もう後数時間で新一は「家」に帰る。
蘭は、自分がお酒で酔いつぶれた為に、この週末新一と過ごす時間がなくなってしまった事が残念でならなかった。
しかし、それを新一に言う訳にはいかない。

「なあ、蘭。明日ちょっと遠出しようか?江ノ島の方にでも」
「え?し、新一、でも・・・!」
「今週はずっとここに居るよ。こんな状態のオメーをほっとけねーし」

そういって新一は優しく蘭に口付けた。
蘭は新一を「家」に帰さなくて本当に大丈夫なのかと一抹の不安を感じたものの、新一の優しい態度が嬉しく、夢心地になった。



  ☆☆☆



その夜の新一は、いつも以上に優しく慈しむように蘭を抱いた。

「んん、ああああんん、新一ぃ・・・っ」
「蘭、蘭っ・・・」

蘭が果てた後、新一が蘭の耳に口を寄せて囁いた言葉を、蘭は朦朧とした意識の中で聞いた。
蘭は後でその言葉を思い返すのだが、残念ながら、それは自分の願望が形になった幻聴だと思い込んでしまうのだ。


新一は蘭の耳元で

「愛してるよ」

と囁いたのだった。







月曜日。

突然の天野聡美の退職の知らせに、蘭は驚いた。
けれど社内には、それが当たり前のように受け止められていた。
天野聡美が配属される筈だった受付の人達などは、あからさまに「助かった」などと噂していた。
岩倉光枝と内田唯は、黙ってそれぞれ総務部と経理部に向かい、真面目に挨拶して新しい仕事に気持ちを切り替えているようだった。



  ☆☆☆



「新ちゃん、一昨日と昨日はどうしたのかな〜?」

福会長の有希子が社長室を訪ねて来て、からかう様に新一に声を掛けた。

「別に。たまには俺も遊びに行きたい事だってあるさ」

新一は有希子の顔を見ようとはせず、書類に目を落としたままで言った。

「ふふ〜ん、秘書室刷新と一緒に『外泊』なんて、何があったのかな〜」
「が・・・外泊って、人聞きのわりぃ事言うなよ!」
「時に、今日の蘭ちゃん、一段と綺麗ね。新ちゃん、心当たりないの?」

新一が飲みかけたコーヒーを思わず噴き出しそうになり、有希子は楽しそうにその様子を見た。

「うっふっふ、他の事では親の前でもポーカーフェイスが出来るくせに。ちょっと修行が足りないわね」

新一は溜息を吐いて頭を抱えた。

「母さん・・・頼むから、邪魔だけはしないでくれよな」
「あらららら、もう白旗?つまんないわねえ。ま、蘭ちゃん可愛いし、うまく行って欲しいのはやまやまだし。応援するから、頑張ってね」

応援しないで良いからそっとしといてくれ、と新一は内心思ったが、それが通用する相手ではない事が長年の経験で良く解っているだけに、更に深い溜息を吐いただけだった。

『これが嫌だから、今迄後ろ髪引かれる思いだったのに頑張って週末は家に帰ってたんだよな。新しいマンションの場所を母さんに内緒にしといて本当に良かったぜ。でなきゃ・・・考えるのも恐ろしい。父さんならその気になればすぐに判っちまうだろうけど、母さんに教えるような野暮は流石にしねーだろうし』

幸か不幸か、工藤親子のやり取りも知らずに、蘭は秘書室のパソコンで一生懸命新一のスケジュールチェックをしていた。







新一が社長秘書としての蘭をパーティなどに伴って顔を出すようになると、蘭の清楚な美しさはすぐに評判となった。
仕事を離れ個人的に蘭に興味を持つ御曹司も多かったが、新一はそれらひとつひとつに注意深く対応し、蘭へ直接アプローチが掛からないよう牽制していた。
蘭は自分が評判になっている事も露知らず、増してや興味を持つ御曹司が大勢居る事にも気付かなかった。
新一が、蘭に虫が近付かないよう暗躍している事実は、蘭のあずかり知らぬ所だったのだ。







「お疲れ様〜」
「お疲れ〜」

ナイトバロン社のタイムカード付近は、残業がなく定時退社の社員達でごった返している。

「あ、毛利さん、今日は珍しく残業なし?」

庶務課勤務の七川絢(あや)が蘭に声を掛けてきた。

「ええ。社長はまだ残って企画開発中のチームと打ち合わせがあるようですけど」
「そう。もし良かったら、お茶に付き合わない?社長の話も聞きたいし。あ、でも、シークレット事項は話さなくて良いからね」

絢の他、同じ庶務課の仁野環、総務部の香坂夏美とで近くのカフェレストランに繰り出すとの事、蘭も誘いを受け付き合うことにした。
新一の帰りはどうせまだまだ遅いのだし、夕飯を作る時間は充分にある。

「毛利さん、秘書室1人になっちゃって大変だろうに、頑張っているわね。うちの課の坂田が、最近秘書室を通せば、社長にきちんと漏れなく話が伝わっているって感心していたわよ」
「え?そうですか?毎日抜けている事がないかと必死なんですけど、漏れがないと言って頂くとすごく嬉しいです」

絢の言葉に蘭が答えた。仁野環が口を挟む。

「だってね〜、以前だったら話が伝わってないと文句言っても、あの3人でお互いに責任を擦り合って『私は知らない、聞いてない』で、ちっとも埒明かなかったんだから。でもそれで大切な取引先を怒らせた事も、1度や2度じゃなかったのよ」
「そうそう、でも今は連絡がスムーズになって働き易いってみんな言ってるものね」

香坂夏美も相槌を打った。

「そう言えば夏美、お局の1人が総務部に配置されてんでしょ?大変じゃない?」

絢の言葉に夏美が手を振って笑って答える。

「1人だけになったあの人が、何が怖いもんですか。それにね、今は人が変わったように熱心に仕事を覚えようとしているわ。どうもあの人にとっては秘書室という環境が悪かったらしいわね」
「そうね、その意味では、3人バラバラに別の部署に配属したのは、英断だったと思うわ。天野女史だけはすぐに止めちゃったけど、岩倉さんと内田さんの2人は、今真面目に仕事に励んでいるようだし」
「本当はもっと早くそうしたかったんだろうけど、今まで秘書室に配属された人は育つ前に悉く潰されて、なかなか入れ替える事が出来なかったのよねえ。だから今回、毛利さんの評判は社内で鰻上りになってるのよ」
「ええ?私がですか?」

蘭は思わぬ自分の評判を聞かされて素っ頓狂な声を上げる。

「うんうん、だって毛利さんが来てからだもんね、社長秘書室が変わったの」

蘭は赤くなった。
初めての仕事で必死だったが、思えば「新一の為に」と思って頑張れた部分もあるのかも知れないと密かに思う。

「それにしてもねえ、工藤社長って落ちないわよねえ」

七川絢が言い、環と夏美がうんうんと頷いた。

「まあ、あの程度の人たち相手に落ちられても困るけどさあ」
「あ、あの・・・落ちる落ちないって、何の話ですか?」

蘭がきょとんとした顔で言い、3人は顔を見合わせて肩を竦め苦笑した。

「毛利さんって、そういう風だからこそ秘書室変える事出来たのかもね」

環が言い、蘭の頭の中をはてなマークが飛び交った。

「あのね、工藤社長が入社したてでまだ役も付いていなかった頃から、あの3人、かなり意気込んで色仕掛けで迫ってたのよ。うまくすれば将来の社長夫人でしょ?」
「たとえ社長夫人が無理でも、愛人という立場でも手に入れられれば結構美味しい思い出来ると踏んでたみたいね。誘惑は仕事中までエスカレートしちゃって、かなりえげつなかったらしいわ」
「そうそう。だからあの3人、元々は仲悪いのよね。でも、工藤社長も妙に堅いとこあるから、秘書室の女に手を付けてトラブルを招くような事しなかったのよね」

蘭は複雑な面持ちで3人の話を聞いた。
新一と蘭の関係は、社内でもまだ誰も疑って居ないようである。
今迄「品行方正な社長」で通して来た新一が、蘭との関係を周囲に隠すのも無理からぬ事なのかも知れない、と蘭は思う。
でも、秘書に手を付けて・・・正確には、手を付けた女を秘書にして、新一の立場は本当に大丈夫なのだろうかと蘭は不安だった。

その時の蘭には解って居なかった。
社員にとってみれば、たとえ社長が社内の女性に手を付けたとしても、それが公序良俗に反せず、自分の立場を利用してのセクハラではなく、仕事に支障を来たさなければ、別に構いはしないのである。
秘書室3人の色仕掛けが何故問題であったのかと言えば、早い話、それが原因で仕事が滞り差し障りが出たからなのであった。









(5)に続く



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(4)の後書き



ゲフ!もうちょっとだけと言いながら、秘書室の3人が結構足掻いた、やだやだ。これでもかなり削ったんだけど。まあ蘭ちゃんが不愉快な思いをする前に新一くんが防波堤になったので良しとしましょう。
どうやら困った事に、私は「蘭ちゃんを狙う不逞の輩から危機一髪のところで新一くんが助ける」パターンが好きなようですね。蘭ちゃんはただ助けを待つだけのタイプじゃないので、その点には注意をしているつもりですが。
しかし今回の新一くんは、せっかく蘭ちゃんを守る為に色々暗躍しているのに、蘭ちゃんそれ知らないもんだから誤解・すれ違いは拡大していく・・・ううむ。
自分で書いていながら、やる事だけは素早いくせに、何てもどかしい2人なの!(←って、おい・・・)

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