一週間〜ハニーウィーク〜



byドミ



<プロローグ>



「蘭。今度のゴールデンウィーク、旅行に行かないか?泊りがけで」

毛利蘭は、喫茶店で向かい側に腰掛けている高梨雅彦からそう言われて、息を呑んだ。
目の前の相手と、いわゆる「お付き合い」を始めてから、もう半年以上が経つ。
その間、キスすらもまだの「清いお付き合い」だったのだが、流石にもう観念しなければいけないかと、蘭は思った。


毛利蘭、21歳。
短大卒業後に会社勤めをしている。

高校時代から今迄、相手に強く望まれてお付き合いをした事は何度かある。
しかし、あまり長続きした事はない。
と言うのも、付き合い始めて少し経つと、相手の男性は大抵キスしようとして来たり、それ以上を望んだりするのであるが。
蘭は、どうしても、そのような事をする気になれなくて拒んでしまい。
結果、付き合いが破綻するというケースを繰り返してきていた。

蘭としても、学習能力がない訳ではないから、一応「多分いずれ好きになれるだろう」と思う相手にしか付き合いを了承しないようにしている。
そして、「付き合いを了承する条件」として、キス以上の事は蘭がその気になれるまで暫く待って欲しいと相手にお願いしていた。
大抵の場合、相手は「分かった」と答えるのだが、相手の我慢が長続きした例が殆どないのであった。

その点、蘭の目の前にいる高梨は、辛抱強かった。
高梨は、蘭が短大を出て勤め始めた会社で、声をかけて来た先輩社員である。
蘭は流石に良く知りもしない相手だし、最初はなかなか首を縦に振らなかった。
半年に渡るアプローチに蘭がとうとう折れた形で、付き合いが始まった。

それから更に半年、高梨と蘭とは、一応「2人でのデート」をするものの、手を繋ぐ事すら滅多にない「清いお付き合い」をして来た訳である。
飲み屋等は蘭が嫌がったし、レストランや喫茶店に入っても、こうやって向かい側に腰掛けるのが常であった。

その高梨から、とうとう、「泊りがけの旅行」の話が出た。
これだけ長い間、辛抱強く待ってくれた高梨の誠意に応えなければと蘭は思い。
そして蘭は、旅行に行く事を承諾した。


その時の蘭は蘭なりに、高梨の事を好きだと思っていたし、大切だと思っていた。
その「好き」と蘭が思っている感情が、「これだけ大切にされているのだから応えなければ」という義務感であった事を、蘭自身が気付くのは、皮肉にも。
2人が深く結びつく予定の筈だった、旅行先での事であった。


   ☆☆☆


ゴールデンウィークとは言え、蘭の勤めている会社は、土日祭日以外の日は厳密には休業ではないのだが。
蘭の同僚は、殆どが10連休〜12連休を取っている。
蘭自身も10連休を取り、うち7日間を旅行に当てていた。

ところが。
予期せぬ事が起きた。

「え?来られない?」

高梨は、最初から一緒に来る筈だったのだが、仕事上のトラブルが発生し、そちらの処理をしなければならなくなったのだった。

「本当に、済まない。3日程でけりが着く筈だから、それから合流する。待っててくれ」
「そう。お仕事なら仕方がないものね。頑張って下さいね」

蘭は残念そうにそう言ったものの、内心では正直ホッとしていた。
最近の蘭は、高梨に肩を抱き寄せられる事には慣れたものの、顔が近付いて来ると微妙に避ける。
キス以上の関係となると、どうしても抵抗が強いのだ。

ホッとしたものの、これではただの時間稼ぎに過ぎない事は承知の上で。
蘭はとりあえず、予約を取っている高原のリゾートホテルに、1人で出発して行った。


   ☆☆☆


「園子。そっちの方はどう?」
『ん〜、色々と忙しくてね〜、買い物に行く暇も無いのよ〜。今の国では、真さんが会える距離に居るだけが、救いかな〜』

蘭は、長年の親友鈴木園子に連絡を取っていた。
園子は短大卒業後、いずれ鈴木財閥を継ぐ立場として、海外留学をしていた。
これは本当の意味での「留学」で、遊びまくっていた学生時代と違い、かなり苦労をしているようである。

園子の高校時代からの恋人である京極真は、海外に修行の旅に出ており。
今現在、運良くと言うべきか、園子と真がいるのは同じ国なのであった。

『でも、また来月は暫く離れ離れになるんだよね〜、でも、あと1年で留学も終わりだから、私、頑張るわ』
「園子。月並みな事しか言えないけど、頑張ってね」
『うん。ところでさ、蘭。今回の彼・高梨さんとは、結構長く続いてるじゃない?今度こそ本命かな?』
「多分ね。今、旅先のリゾートホテルから電話してるんだけど・・・」
『ええ?じゃあもしかして、いよいよ今夜、初夜!?』
「ううん、彼、仕事でトラブルがあって、3日間程私1人なの」
『ええ!?また、幸先悪いわねえ。でも、じゃあ後3日位か、蘭がバージンなの』
「う、うん・・・」
『ま、でも蘭だったら引く手あまただし、高梨さん義理堅く待たないでさ、そのホテルでイイ出会いがあったらアバンチュールしちゃいなよ』
「そ、園子ったら!何て事言うのよ!私がそんな事出来ないの、知ってるでしょ!?高梨さんとだって、やっと決心ついたって言うのに」
『う〜ん。ねえ蘭、私さ、真さんにあげた時。そりゃ、怖かったし不安もあったけど、何て言うか、すごく期待と楽しみもあったんだよ。蘭、もし嫌なんだったら、そりゃ高梨さんが蘭の相手じゃなかったってだけの事だから。無理する事ない、って思う』
「な、何よ。私はただ、ちゃんと長くお付き合いしたのは今回が初めてだったし。未経験だから戸惑ってるだけよ」
『だって、蘭。私さ、蘭の口から高梨さんへのノロケも憎まれ口も、聞いた事ないもん。蘭は頭で恋愛しようとしてるんじゃない?』


園子との電話を切った後、蘭は暫く呆然としていた。
蘭の親友園子は、妙にぶっ飛んで世間知らずのところも多かったが、色々な意味で鋭く、蘭がどきりとさせられた事も多かったのである。
園子と蘭は、短大卒業までずっと一緒だったので、園子は蘭が短期間お付き合いしてきた面々の事は皆知っている。
園子は高梨とは、直接会った事がないけれど、蘭は高梨のアプローチ・告白・付き合い始めた時などの報告を逐一していた。

『私が園子に、高梨さんのノロケも憎まれ口も、聞かせた事がない?そうね、そうだったかも知れない』

蘭は頭を横に振って、それ以上深く考えるのをやめた。
もう今更、引き返せる筈もない。
今夜の予定がずれたけれど、それはただそれだけの事、3〜4日後には、蘭は高梨のものになる。


まだ日は高かったけれど、蘭は気分を変え列車移動の疲れを癒す為に、シャワーを浴びる事にした。
蘭は、バスルームの大きな姿見の前に立ち、自分自身の裸身を見詰めた。
今迄、どの男も蘭のこの姿を見た事も触れた事もない。
3日後、高梨がここに来たら、その時は。

『いや・・・怖い・・・』

蘭の胸は少しも高鳴らず、不安と恐れでいっぱいになる。
友人達に言わせると、セックスは最初は痛かったりと色々大変だが、慣れれば気持ちよくなるという事だった。

『最初さえ我慢すれば、その内慣れて、良くなるものなのかな?』

蘭自身、男性を受け入れられない事がもしかしたら異常なのではないかと感じていて。
もし今回の旅行で高梨を受け入れられなかった場合、本格的にカウンセリングを受けようかとまで、考えていたのである。


   ☆☆☆


このホテルは、リゾートホテルだけあって色々と設備施設は整っている。
蘭は、ホテルと併設の工芸美術館に入って、ゆっくりと見て回った。
素朴だが、なかなか味わい深い物が揃っている。

いきなり、蘭の背後でカップルらしい女性と男性の声がした。


「ねえ新一ぃ。ここつまんないよお」
「あのな。テニスも嫌、ボーリングも嫌、プールも嫌。DVD鑑賞も趣味が合わねえ。だったら、ここ位しかねえだろうが」
「だって〜」
「そもそも、リゾートホテルに行きたいって我儘言ったのは、オメーだぞ」
「しょうがないじゃない。普通の観光コースを選んだりしたら、新一は絶対事件に首突っ込んで飛んでっちゃうんだもん。滞在型のリゾートホテルじゃないと、新一と旅行なんて無理だもん。ねえ新一、カラオケ行こ!」
「あのなあ。オメー、オレがカラオケ無理なの、知ってんだろ?」
「別に新一に歌えって言ってないよ?」

蘭は無意識の内にその2人の方を見ていた。

女性の方は、我儘そうな印象を受けるが可愛らしく小柄な子で、髪は明るい色のふわふわ(おそらくは)天然パーマだった。
新一と呼ばれた男性の方は、端正な顔立ちで、中肉中背(やや細身)だが、身のこなしに隙がなく敏捷そうである。

男性の顔に見覚えがあり、蘭は首を傾げて考え、そしてすぐに思い出した。
かつては高校生探偵として世間を賑わせ、そして今は学生探偵として更に脚光を浴びている、工藤新一であった。


『恋人連れなのかな?彼ほどの人だったら、恋人がいても当然よね』

蘭は何となく寂しく感じながら、2人を見ていた。
工藤新一が高校生探偵としてマスコミに取り上げられ始めた頃から、蘭は新一の密かなファンだった。
探偵として鮮やかに事件を解決してみせる能力も、巧みな弁舌も、そして何かの折に垣間見せる正義感も、蘭は好感を持っていた。

それは、蘭がこの旅行で新一と直接出会う事がなければ、ほのかなファン意識だけで終わっていた筈の感情であった。


「・・・何じろじろ見てんのよ?」

工藤新一が連れている女性が、蘭に目を向けて嫌そうに言った。

「あ、ご、ごめんなさい。・・・あの、学生探偵の工藤新一さん、ですよね。私ファンなもので、つい・・・無作法、ごめんなさい」
「ふうん、そう。でも、新一の恋人は私なんだからねえ。狙ったって駄目よ」

そう言って、その女性はこれ見よがしに新一の腕に自分の腕を絡めた。

「真由!失礼だろ、そんな言い方。初めまして、工藤新一です。ファンと言っていただけて、光栄です」
「あ、は、初めまして。私、毛利蘭と言います」
「・・・はじめまして。佐々木真由、工藤新一のコ・イ・ビ・ト、です」

新一がさわやかな笑顔を見せたのに対して、真由はやや敵意の混じった目で蘭をジロジロと上から下まで見ながら、挨拶した。
蘭は苦笑する。
新一の笑顔はあくまで、「ファンに対しての儀礼的なもの」であり、恋人である真由が心配するような事は何もないと、蘭は感じていた。

真由が新一を引っ張るようにして、美術館を去って行く。
蘭はそれを苦笑しながら見送った。
その時は、やや寂しい思いは感じても、それ以上に胸が痛む事はなかった。


   ☆☆☆


蘭が、美術館に併設の売店に行くと。
七宝やガラス工芸のアクセサリーが置いてあるコーナーで、真由が新一に「おねだり」している場面に遭遇した。

「んあ?オメーにはこの前ピアスを買ってやったばっかだろうが」
「何よう。新一の家って、お金持ちなんでしょ?ピアスもこれも、大した値段じゃないじゃん。それに新一、指輪ってまだ買ってくれた事ないしぃ。ねえ、いいでしょう?」
「駄目だ。親父は金持ちでも、オレはまだ大した収入がある訳じゃねえし、今回旅行の所為で大赤字だしよ」
「あ〜ん、けちぃ」

蘭は苦笑しながらその会話を聞いていた。
新一は蘭と同じ年で、まだ大学生であり、高校時代と違って探偵活動では報酬を得ていたとしても、そこまで高収入ではないのだろう。

高梨は大学卒業後、社会人として5年間勤めており、エリートで仕事の成績も良く昇進も早い為、かなりの収入がある。
蘭とのデートでは、いつも奢ってくれ、記念日には高価なプレゼントもくれる。
蘭は正直、それが重いと感じる事も多かった。
お金があるから恋人にお金を使う、そのようなやり方に何となく反発も覚えていた。

けれど、蘭はその事について高梨ときちんと向き合って話した事は1度もなかった。
身につけるものは正直困る事が多いので、それだけは困ると最初から伝えていたけれど。
それでも、クリスマスには高価なネックレスをプレゼントされ、次に会った時にそれを身に着けていないと、機嫌を悪くされた事もあった。
今は、ペアリングや婚約指輪を考えているようである。
正直、指輪などまだ早いと、蘭は感じていた。

『いいな。ああいう風に、本音を言える関係って』

真由は我儘いっぱいで、新一はそれに呆れながらも、負けずに口は悪く遠慮しない口調で。
新一と真由の関係は、本音をポンポン言い合える、とても良い関係のように、蘭には見えた。


蘭も、何とはなしに工芸品のアクセサリーを見てみた。
様々な可愛い指輪が、手頃な値段で並んでいる。
蘭の目を引いたのは、蘭の花をモチーフにした七宝細工のものだった。

蘭が、自分用に買おうかどうしようか、ちょっと考えた。
すると突然横から声がかかった。

「ふうん。君の名前の指輪だね」

いつの間にか、新一が傍に来ていたのだった。
すぐ近くで囁かれたテノールの声に、蘭は一瞬ぞくりとする。
それは、不快感ではなく、蘭の奥底で何かがざわめき始めた瞬間だった。

新一の恋人である真由が、新一の腕に自分の腕を絡ませ、蘭の方をちょっと敵意のある眼差しで見た。

「ええっと・・・あなた、何さんだっけ?指輪を買ってくれるような恋人もいない訳?」
「おい、真由。止せよ。毛利さん、ごめんな」
「え?ああ、私は別に・・・」

真由の棘のある言葉の意味が分からず、新一の謝罪に戸惑いながら、蘭は曖昧に返事をした。
すると、またもや真由から棘のある言葉が投げられる。

「あ、そうそう、毛利さんか。女ひとり旅なんて、可哀想ね。失恋旅行なの?」
「一応恋人はいるけど、3日後に合流する事になってるの」
「あ〜、恋人いたんだ〜、でも、けちな恋人さんなのかしら〜。自前で指輪買うなんて、惨めじゃな〜い?」
「この指輪は、私が欲しいって思ったから・・・」

新一が真由に向かい、不機嫌な苛ついた声を出した。

「おい、止せってば」
「だって新一!今迄私といる時、他の女の子に声かけた事なんてないじゃん!」
「・・・ファンの子だって言うから、嬉しかっただけだよ」
「ウソ!だって、新一のファンなんて今までにも沢山いたけど、こうやってわざわざ傍に寄って声をかけたの、初めてじゃない!」

新一は、少し怒ったような顔になると、蘭の方にちょっと会釈して、真由を引っ張るような形でその場を去って行った。

「あ〜ん、新一、指輪〜」
「・・・また今度な」

蘭は、あっけにとられて2人を見送った。
そしてようやく、真由の態度が「焼きもち」である事に思い至った。

『ああ、そっか。工藤さんが私に興味を持ったように見えたから?そんな事ないのにね。真由さん、本当に工藤さんの事、好きなんだ。そして工藤さんも・・・』

蘭の胸に、ちりちりとした痛みが走る。
しかしそれが何なのか、今の蘭にはまだ分からなかったのである。



蘭は、1日目ですでに退屈しかけていて、けれど高梨が来る日を心待ちにする気にもなれず、しょっぱなから「つまらない旅行」だと感じていた。
この先蘭は退屈するどころではなくなり、この旅行は、蘭の生涯を変える大きなものとなるのだが。
今の蘭には、その予感すらなかった。


<第1日>に続く



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<後書き>

遂に始めた、「禁断(?)」の、「新一君蘭ちゃん双方に恋人が居る設定」の、新蘭裏パラレル。
何だか最近私ってば、こういう禁断のお話に傾いているような。
でもまあ、私が書く話では、禁断と言ってもぬるいですけどね、だって「原作通りのカップリング」ラブラブハッピーエンドが大前提・大原則ですから。

1週間というタイトルは、蘭ちゃんの旅行期間がそれだって事で。
副題のハニーウィークが何を表すかと言えば。
まあ、「裏」という事で、類推して下さい。

当初の予定では、1週間に合わせて<第1日>から始まり、<第7日>で終わる筈だったのが、結局<第1日>が書き終わらず、急遽分割してプロローグを作る事に。
って事はこれって、プロローグエピローグ合わせて、全9話になるのか?
でもまあ、予定は未定。
日を追って1章ずつという構成なので、1話毎の長さは色々と変わると思われます。

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